内容のないコミニュケーションは,世の中うまく渡っていくためには必要らしい.
内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない – シロクマの屑籠
「内容のないコミュニケーション」は重要だが、時に凶悪な武器になる。 | Books&Apps
これらのコミニュケーションがうまい人らは,カーストの上位,外向的,社交的.
マンションに引っ越したら,隣の部屋に住んでる人,上下に住んでる人にあいさつにいくか?
隣の部屋の人にばったり会ったら挨拶くらいはするだろう.他に話すことある?
「お出かけですか?」ほっとけキモいな
「暑いですね?」うん
「しょうゆ貸して」ヤダ買ってこいよ
言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生む。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。
確かに,ヤニを一緒に吸っているヤニ同士なら接触回数もケタ違いに多いので信頼度は高くなるだろう.
寡黙で非喫煙者でアルコールも取らないなら,”不信”の度合いは高くなる.
用もないのに買い物にきて,店員としゃべりたいがために来る老人に対して「うわあ」という感情をもってしまう私は間違ってるのだろうか.
プライバシーを侵犯されたくないし,貧乏でなにもないプライベートを晒したくない,人との関わりを増やして面倒を増やしたくない.
自尊心の低さがコミニュケーションを億劫にさせている.分かってる.
はあ,ため息しかでん.どうでもいい.