「我思う故に我あり」デカルトが仏語の自著『方法序説』の中で提唱した有名な命題である。
「自分は本当は存在しないのではないか?」とどれだけ疑っても、「疑っている私」という存在は疑うことはできない、というわけです。
「我思う、ゆえに我あり」の意味【ざっくり1分】まとめ
疑っている私?私を疑っている私?その”疑っている私”は他人から証明できないのか?
デカルトの言ってることは”疑っている私”は疑えないという定義なんだけど,私が思うことはこの”疑っている私”を誰か証明してー!と不安になったり,不思議になったり,違和感を持ったりしていることです.
意味わかんないですよね.
これってネットでたまたま見つけたんですが,”離人症”ってやつなのかもって思いました.
現実感の喪失
この記事で「これだ!」って説明をしていたので,離人感なのかもって思い始めました.
尾玉なみえ『脳酸球』
尾玉なみえの『脳酸球』は短編集です。そのなかにオマケとして1ページのエッセイ漫画が収録されています。そこで作者の幼少期のエピソードが紹介されています。
確かにこんな感じになることあるんですよね.映画の「マルゴビッチの穴」っていう,その穴に入るとマルコビッチという人の目で見ている感覚になれるという映画があってそれと似た感じです.
慢性疲労によるブレインフォグ
また,視界に見える現実が”水中になる”ような感覚も感じることがあります.ゆらいでいるような,層を感じるような.
頭に霧がかかったような状態をブレインフォグというそうです.

慢性疲労症候群の症状でブレインフォグによる離人感があります.
またうつ状態でも起こるそうです.
私は結局何なんでしょう.うつ状態か何かのせいなんでしょうか.この離人感.なぞです.
「私が生きているって誰か証明できる?」
このもやもや,イライラがこの言葉につながるんですよね.
何なんだ,この感覚.
飯食って遊んで寝て満足してた子供時代に戻りたい.